エジプト旅行記−7


99年12月19日(日)−2
 なかなか格好いいエジプト人である。
" Where do you go?"
" I will go there Nile hilton shopping mole to buy a guide book."
「そうか、でもあのホテルの本屋は高いよ。僕が安いところを紹介してあげる。道がわからないだろうから、連れていってあげるよ。」
 ヒルトンホテルといえば、超一流である。そんなところで本を買うと高いに決まっているので、この申し出は渡りに船。なんて親切な人なのだろう。
「道を渡るのは難しいから、僕の腕につかまりな。行くよ。」
−−
 以前にも書いたように、エジプトの道路にはまともな信号機がない。車はびゅんびゅんと飛ばすから、その間を縫うように渡るしかないのである。一車線進んでは止まり、また1車線と3−4車線を渡らないといけないのだから、ガイドがいないと日本人には渡れない。これに比べれば、どんな日本の道路でも、赤信号の時に渡ることなんか、車を待たずにできてしまう位である。(結局、3週間位ではこの渡り方はとてもマスターできず、車の流れが切れるのを随分と長い間待って渡るか、女性について渡るかしかできなかった。それでも、毎回轢かれるのではないかとどきどきしていた。しかし、エジプトにいる間交通事故を目撃したことは1回もない。エジプト人の運転は、乱暴だが、大変うまいのかも。)・・最近、エジプト流の渡り方を日本でもしてしまうが。。
−−
「エジプト人は運を天に任せて(イッシャ アラーというらしい。神様の思し召しという意味)、目をつぶって渡るんだよ。」
なんて、会話もはずみ、
" Thank you very much."
と私が言うたびに、
「違う違う。君と会えたのは、アラーの思し召しなんだよ。アラーに感謝しなくっちゃ。」
と、言う。
 本屋に入ってみたが、いいガイド本は見つからなかった。1冊あるにはあったが、どのようにしてエジプトに住むかといった内容で、旅行者用のものではなかった。
 「残念だね。」なんて言いながら、自分のことを話し始めた。

  • 名前は、アリー
  • 父親は大きな農場を持っている。
  • 現在は、学生で、芸術の勉強(Art)をしている。
  • フィアンセがいる。(25才くらいと言っていた)
  • 電子メールも興味があるが、まだアドレスは持っていない(アドレスを教えてくれと言った答え)
  • 両親は、アブシール村に住んでいて、自分はカイロとアブシール村の間に住んでいる。
  • くらいだろうか。しきりに、君とフレンドシップがもててうれしい。を連発する。
    「君は運がいいよ。ギザのピラミッドの中は、日曜日にしか一般に公開されていないから、今日行くと中を見ることができるよ。連れていってあげようか?見る価値があると思う。」
     これは、素直にうれしかった。。そもそも、一体どうやっていけばよいのかわからないのだから、連れていってくれると言うなら万々歳である。エジプト人は親切な人が多いなぁ。。
     さて、彼はバスの発着場に連れていってくれて、なにやらバスを探し始めた。ギザ行きのバスを探しているらしい。
    「これだよ。」
    と言われて、乗り込んだ。

    (エジプトの本屋)  文字を読める人は、半数くらい(male :60% Female 40%)のためか、紀ノ国屋のような大きな本屋は見あたらず、町の本屋さんくらいの規模位しか見あたらない。(マホメットさんに連れていってもらってそうだから、ほんとにないと思う)。ただ、コーランはどこにでも売っていて、地下鉄の中で読誦している人もいる。 みんな大変に信心深い。


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