エジプト旅行記−11

99年12月19日(日)−6

 「この後は、ダフシュールのピラミッドを見る」と、ムスタファが言っているが私のテープには記録されている。が、どうにも記憶がない。
 つぎにアブシールのピラミッドに連れていってもらった。サッカーラ方面からはかなり距離があり、らくだに乗って文字通り砂漠を移動した。途中には、砂漠で死んだと思える動物の背骨も見られた。
 アブシールには3つのピラミッドがあったが、No Entryと書かれていて、正式には見れない様子。が、"No problem"というので、下の方にある神殿まで足を踏み入れた。ここには、本当に人っ子一人いない。まだ、遺跡の修復も終わっていないので、観光客は進入禁止(そもそも、ラクダか馬の助けがないととても行けない)なのだろう。
 ピラミッドの見学も終わり、アブシール村に向かって移動した。この時に、ムスタファが私に、 「もしみんなが、ムスリム(イスラム教徒ということ)か?と聞いてきたら、Yesと答えればいい。名前を聞いてきたら”ラマダーン”*と言いなさい。」
と、僕にイスラム名を命名してくれた。なかなか、いい名前である。アリーに会う前に何人もの子供たちに、「マイ ネーム イズ ラマダーン」と答えた。みんな不思議そうな表情。

 アブシール村に着いたところで、アリーが迎えに来てくれた。ところが着ているのは、先程の上等なガラベーヤとはうって変わって、まるで布団のシーツで作ったようなシミのあるガラベーヤ。

 アリーの家に入ったところで、先程頼み忘れていた名刺を頼んでみると、そんなものは持っていないと言う。
??
「日没(ラマダーン中は、日没まで食事ができない)まで時間が少しあるから、子供たちのサッカーを見に行かないか。また、砂漠の夕日は綺麗だからそれも見れるし。行きたくなかったら、家で待っていてくれてもいいよ。」
そういえば、先程らくだに乗って帰る途中で子供たちがサッカーをしていた。エジプトではサッカーが盛んなようである。が、砂地でやる(砂漠だから当然か)わけだから、やっている方は大変。残念ながら、曇り空であいにく夕日は見れなかったが、サッカーコートの右手には、アブシールの3連のピラミッドがあり、素晴らしい景色であった。
 家に戻って来ると、丁度Breakfastが用意されていた。メニューは、
・パン(ナン)
・羊の肉?
・じゃが芋とタマネギをトマトソースで煮た料理(非常にポピュラー)
等々。
全部で大きな皿10皿くらいに盛られて運ばれてきた。太陽が沈んだことを知らせるモスクからのお祈りの声が聞こえると同時に食事を始めた。なにしろタンパク質を食べるのはエジプトについた日の朝食以来であるから、本当にうれしい。野菜も十分に取れて、エジプトについて以来本当に満足できた食事である。味付けも、日本人と同じ感覚なのか、薄く濃くもなく、辛くもなく、丁度いい味付けで美味しい。
 一緒に食べたのは、アリーと男の子たち。アリーの母親や女の子たちは、我々が食べ終わった食事(もちろん十分に残っている)を食べていた。イスラム教徒の家では、食事にも順序があるかもしれない。アリーに、アラビア語で美味しいは、何というのかと尋ねて、作ってくれた女性たちに「ラズィーズ」と感謝の気持ちを伝えた。
 家はそれほど豪華ではないが、食事は豪華であった。(コンクリートの床にござ(アラビア語で何というかは知らないが、この言葉がぴったり)をひいた場所にやや厚めの座布団を下に敷いて食べていた。(もちろんテーブルなどはない。)
 食事が終わった頃に、ムスタファとタクシーの運転手がやってきた。

−この時、アリーのお母さんがデザートとして甘くて白いゼリー状のもの(寒天か?中に、レーズンなどが入っている)を持ってきてくれた。デザートまで付いた素晴らしい食事であった−

どうやら、もうマイクロバスは終了していて、タクシーで帰るしかないようだ。
「マホメットさんが心配しているだろうから、電話を入れておきたい。」
「わかった。電話のあるところで止まるから、問題ないよ。」
どうやら、アブシール村には、電話もないようだ。
 アリー、ムスタファ、タクシーの運転手、私を乗せたタクシーがアブシール村を出発した(18時過ぎ)。


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